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36歳。遠藤教授が北海道大学へ着任したのは、教授就任の実質的下限年齢だ。挫折とは無縁のスーパー研究者 を想像するが、大学院中退も経験した。多くの人と同じように悩みながらも、自分は研究者になると信じ続けて きた。「諦めてしまったら成功は来ない。他人より余計に時間がかかるとしても、 10年後の自分に必要なことを準備していけば良いのだと考えていた」。
「自分でなければできないことがしたい。 自分のアイディアを試す研究がしたい」。 確立された手法に従って新たな遺伝子の探 索に邁進する研究には、自分がやることの意 義をみつけられなかった。東京大学大学院で がん遺伝子の探索をする研究室に配属とな り、当時の最先端の研究に取り組むも、なか なか熱が入らない。悶々と悩み続けた結果、 博士1年で中退。周りの大半が博士号取得ま で同じ研究室に残る環境で、異例の決断だっ た。しかしながら、研究をやめたいと思った ことはない。自分は研究者になると信じ続け てきたからだ。
東京大学大学院を中退した遠藤教授は、総 合研究大学院大学を受験し、国立遺伝学研究 所の五條堀教授のもとで新たな研究を始め た。「研究室は動いたほうが良いのかもしれ ません。先生によって考え方、何を重視する のかが違います。多様な視点と底に流れる共 通の考え方を知ることで、自分の目指すべき 方向を改めて考えるきっかけになりました」。 五條堀教授との出会いは、東大の研究室に いた頃、遺伝研に面白い先生がいると研究室 の先輩と後輩から同時期に聞いたのがきっか けだった。連絡をするとすぐに面談日程を調 整してくれた。予算のため、論文のための研 究ではなく、「生命の本質を理解したい、そ のためにはどうすればよいのか」という自ら の問いに向かって研究を進める五條堀教授の 考え方、生き方に共感したのだ。 遺伝研に集まるのは、純粋に研究が好きで、 自分がしたい研究のために集まってきた人た ちばかり。エリート意識を強く持った東大と は雰囲気が異なった。
五條堀研究室では、実験とコンピューター 解析を組み合わせて生物の進化機構を明らか にすることを試みていた。バイオインフォマ ティクスの先駆けである。 遠藤教授は独学でプログラミングを覚え、 大学生の頃にはプログラマのアルバイトをし たり、Windows の入門書などの書籍を 書くまでになっていた。このコンピューター の知識を活用して、手探りで生物学と情報科 学を統合していった。まさに自分でなければ できない研究に出会ったのだ。 これまでとは全く違う研究テーマに心が弾 んだ。始まったばかりのバイオインフォマ ティクス分野は教育カリキュラムも体系化さ れていなかったが、遠藤教授は挑戦するこ とを決めた。研究以外は全部捨てても良いと 思って専念した。
36歳で教授のポストを得る。アカデミック で生きていく研究者にとって、憧れの姿だ。 しかし、この若くして得た教授のポストに対 して「バイオインフォマティクスに関心が集 まるようになり、人材の需要があったのです」 と遠藤教授は謙遜する。周囲の人間の支えや タイミングはある。しかしそれだけでなく、 自ら成長し、新たな分野を開拓する実力、そ して研究に対する考え方が遠藤教授にはあっ た。穏やかな雰囲気を纏 うが、その芯はとても強い。 北大という新たな活躍の場所で、「遺伝子 配列解析によって、目的の機能を持った遺伝 子や、ひいては単純な機能をもった有用バク テリア程度なら自由に設計できるほどに、遺 伝子の持つ情報を理解したい」という博士課 程の時に手にした10年越しのアイディアに着 手し、学生とともに研究を進める。「学生には、 研究テーマの専門知識だけでなく、自分の考 え方を伝えたいと思います」。自分の中にぶ れない軸を持てば、活躍の場所はおのずと見 えてくる。遠藤教授は、誰にも負けない「自 分を信じる力」を伝えていく。